今回の表紙のテーマは美脚! そして五人のモデル。
打ち合わせは難航、他3案ぐらいあったのですがどれも現実には難しい事ばかりで
結局は『シンプルな背景で五人のモデルにジャンプしてもらい美脚を競ってもらおう!』
このテーマになり
五人の脚、洋服、笑顔が全て満足のいくところまで
モデルちゃんたちには何度も何度もジャンプしてもらいました。
でもそこは若いキャンモ!疲れた顔ひとつ見せず何回でもジャンプしてくれました。ありがとう!
僕も皆のタイミングを合わすため大声!1.2.3 1.2.3 1.2.3
おかげさまでかわいい表情撮れました。
アイク、ミュー、ナオコ、ハズキ、カズキ、お疲れさまでした。
ひと昔前の欧州車はサイズがいい。ほとんどが小ぶり。
モデルと撮影する時にこの小ささがモデルを引き立ててくれる。
今の車はほとんどが大きい。
MINIの現在販売されているものでさえも大きさ的にはモデルとは相性が悪い。
安全性と居住性を追求した末の結果なのだろうが........
車体が重い=燃費が悪い。
『撮影においてのモデルと車のスケール』と『環境問題』
全然関係無い様に思っていたのですが、この文章を書いてるうちに
何か繋がっているようにも思えてきました。
最近コンパクトカーが気になります。
先日『レンピッカ回顧展』見てきました。
実は『レンピッカ』知りませんでした。
電車内、回顧展広告で『緑の服の女(画像中央)』を見て
何だかいいな見てみたいなと思い渋谷文化村へ。
タマラ.ド.レンピッカ(1898〜1980)美人です
ほとんど僕の祖母と同年齢、同寿命。それだけで感情移入大。
彼女のプロフィールを抜粋すると
『ワルシャワの良家に生まれ、思春期をロシア.スイス
1917ロシア革命で亡命。1920〜パリで画家として活躍。
第二次大戦後ニューヨークへ移住。
自由奔放なレンピッカは数多くのモデル達と浮名を流すとともに
ファッションはもちろん当時女性にはまだ珍しかった自動車の運転をするなど
常に流行の最先端をいきました。』
現代社会の女性たちが諸手をあげて憧れそうな女性だったようです。
作品は1920年代後半の物が華やかでキレがあって今の僕には眩しく写った。
その後の世界大恐慌後から彼女の鬱病のせいもあるが
宗教的、政治的趣向の強い作風へと変貌する。
それらは怨念のこもった絵が多く、「たまに見せて下さい.....ちょと恐い」といった感じです。
そして彼女の絵描き人生にも技術の進化があり仕事を減らしています。
写真の登場です!
それまでの富豪&著名人からの肖像画発注はみるみる減っていったそうです。
今とよく似ています。Ipadの登場で紙媒体どうなっていくんでしょうか?
このような回顧展、その人間の生き様を、残した作品とともに体感していく。いいですね。
才能の大小はありますが、自分の生き様と照らし合せたりして楽しめます。
今更ながら、ひとつ解った事! 作風は経済に左右されやすい。 ん〜染みる。
先月アメリカにてレクサスGX460を販売停止に追込んだ
このコンシューマーリポート
あらゆる製品を比較検討したリポートを消費者に有料で提供する月刊誌。
リポートの公平性を保つために広告をいっさい載せていないらしい。
今、日本では無料情報が氾濫している。
それが真実か嘘か見破る力は持っているつもりだが
自分で思ってるだけで見破る力なんて怪しいもんだ。
日本にもこんな情報誌あってもいいのになぁ。
アメリカは資本主義の先輩。
このような広告に頼らない情報誌が存在できる社会
それに金を支払う消費者がいる国民。やはり進んでますな。
息子のために頑張って鯉のぼりあげてみました。
あげてみて気が付く!息子も喜んでいるが、これを一番喜んでいたのは自分自信でした。
子供の頃に見たあの真鯉の雄大な視覚的記憶と
春風にパタパタと旗めく鯉の心地よいサウンド、聴覚的記憶の
両者が蘇ってきて
何とも懐かしく清々しく心地よい至福のひと時。
節句という風習を作ってくれた先人に感謝の気持ちが..........。
そして
『鯉のぼり』を毎年見られる世の中であるように
今の大人がもっともっと頑張らなければならないそんな気持ちにさせられた。
うちのベランダ、パワースポットになってます。
昨年から春になると知人の竹やぶにて筍ほりをさせていただいております。
こういう自然の中に入る度に思う。
自然界的、人間力の低下
昔はもっと野性味あふれる若者だったような気がしますが........。
便利な都会暮らしで確実に勘と体力、落ちています
だが、そこにはまだ救いが!
筍があれば掘る。見つければ掘る。脚にきてても掘る。何故か掘る。
欲望が勝っています