子供の頃からよく墓参りに連れて行かれた。
その頃は墓参り大嫌い少年!
水田家の墓は山を15分歩いた場所にある。
昨今の管理墓地とは違い。ほっておくとすぐ草ボーボー。
その草刈りが嫌で嫌で.....
最初、墓に興味が出てきたのは中学3年生の頃
祖母ともよく墓参りに行っていたのですが僕が中3のころから
祖母の体力がおとろえ15分の登山が出来なくなった
中坊ながらに家族内の役割世代交代を感じた。
15分登山の墓が家族の体力を教えてくれ、少年に自覚を持たせたのです。
次にフォトグラファーを生業とする事ができ順調に売り上げが上がっていった35歳の頃
フォトグラファーとしての、感覚と肉体を僕に与えてくれた先祖への感謝が始まりました。
それ以来、帰省すればすぐ墓参り。
あの墓参りが嫌いだった少年がよくこんな大人になれたなと自分でも関心してました。
そして、子供ができてからはまた違う角度から墓の存在を考えます。
『墓参りは子供と行くべき』ものだと
墓参りって良い子に育つ、子育てのおまじないのような気がします。
親が墓参りをする姿を見せる。先祖に対する感謝の念を見せつける。
そして、墓までの往来途中の何気ない家族の会話、これが良い!
その会話の中には普段では話題に登らない
ご先祖様の履歴や家系図の話や故人の良し悪し両方のエピソードや
親戚、親兄弟の関係などなど、家族という組織のあらゆる情報が語り継がれ
インプットされ、刷り込まれていく
この血縁トークと墓参りビジュアル、一族の履歴を背負う事で
子供の人格に大きな自信をつけるような気がします。